岡寛氏追悼演奏会 | ||||
1月22日 午後1時半・6時半 |
高知県公会堂 |
第3交響曲第2楽章(ベートーヴェン) 指揮 浜田善三郎 |
岡氏が関係し、また活躍された各音楽団体の出演もあり、多彩な音楽会であった。 入場無料 下足料5銭 |
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岡寛氏 高知県師範学校卒業後、小学校、高等小学校、女子師範学校にて教鞭を取り、各学校にて音楽を振興させ、大正8年頃から高知フィルハーモニー会を作り、また大正14年頃カルテットを、昭和4年、音楽団体紫紅会を組織し、弦楽合奏、合唱等、幅広い音楽活動をした。当楽団の顧問にもなって団の発展に尽力されるなど、県下の音楽向上のため非常に貢献されたが、惜しくも35歳で逝かれた。 |
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徳島連合音楽会 | ||||
3月19日 午後1時 |
徳島県女子師範附属小学校講堂 |
1 管弦楽 指揮 浜田善三郎 |
主催・徳島クリスタライン合唱団 楽団出演者 20名 |
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徳島市訪問連合音楽会は、前年徳島クリスタライン合唱団が高知市で演奏を開いたときに伴奏したのが縁で、その後、同合唱団から申し入れがあり徳島市で合同演奏会を開くことになった。 18日午後2時 貸し切り自動車4台を連ねて高知出発 徳島市での演奏会は大成功であった。 |
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定期演奏会 | ||||
5月20日 1時 |
旧城東中(現追手前高)講堂 |
1a 戦勝の旗の下に(ブロン) 指揮 浜田善三郎 |
出演 27名 入場者 850名 収入 広告料3円 橋本、原田、古城寄付 支出 会場借料16円 |
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このころの月給は、大学卒40円から48円位、(旧制)中学校卒30円位が標準で、不況のどん底であった。 | ||||
高知新聞創刊壱萬号祝賀記念演奏会 | ||||
11月18日 午後7時 |
高知県公会堂 |
1 エグモント序曲(ベートーヴェン) 指揮 浜田善三郎 |
出演 32名 収入 |
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高知新聞記事より要約 わが社一万号記念として、大演奏をなす高知フィルハーモニックオーケストラは、出演者実に32名にのぼり、大高知の誇りとする楽団で、目的はみづからの音楽を楽しむと同時に、市民が音楽への理解を深めるためで、会員自身の醵金により維持されている。市民の力により保護する程度にまで進ませたい。 |
昭和9年(1934年)のデータはありません。演奏会が開かれなかったのか、データが失われたのかは不明です。
昭和10年(1935年)
4月4日 | 古城邸にてポスター製作 | |||
4月5、6日 | ポスター貼り | |||
定期演奏会 | ||||
11月16日 | 高知市高等小学校講堂 | 1 管弦楽 「魔笛」序曲(モーツァルト) 指揮 高木雅老 2 混声四重唱 ハレルヤ(ヘンデル) 指揮 橋詰利春 ピアノ 多 真智子 3 ヴァイオリン独奏 ロマンス(ベートーヴェン) 独奏 長尾良樹 指揮 高木雅老 4 混声四重唱 流浪の民(シューマン) 指揮 橋詰利春 高知混声合唱団 伴奏 高知管弦楽団 |
賛助出演 高知混声合唱団 演奏会場は照明不十分 出演者 26名 |
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高木雅老氏 高知県師範学校卒小学校教師。「ゆづり葉会」という会誌を作り、多くの美しい童謡を作曲して発表したり、児童向け音楽劇等を作曲し、RKやBKから放送するなど、幅広い音楽活動をしていた。 |
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橋詰利春氏 高知県男子師範学校音楽教授で、優秀な門下生を多く育てている。 |
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長尾良樹氏 東京音楽学校ヴァイオリン科卒。土佐女子中学校音楽教師。当楽団のコンサートマスター。 |
昭和11年(1936年)
定期演奏会 | ||||
11月28日 午後7時 |
高知市高等小学校講堂 | 1 喜歌劇「天国と地獄」序曲(オッフェンバック) 指揮 高木雅老 2 チェロ協奏曲ニ長調〜第1楽章(ハイドン) 独奏 橋本浩太郎(団員) 指揮 浜田善三郎 3 交響曲ロ短調「未完成」(シューベルト) 4 1)飾らぬ打明け(トーメ) 2)ワルツ 碧きダニューブの流れ(シュトラウス) 指揮 古城九州男 |
出演者 30名 入場料 大人10銭 学生5銭 |
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高知新聞は記事として、全曲目の解説・出演者のパート毎の氏名、練習風景の写真等を、二日にわたって大々的に載せ、宣伝して演奏会を盛り上げ、更に翌日は昨夜の大盛況として写真入りの記事とした。 | ||||
当時、団の運営諸届け出は会長宅(塩屋崎町)で、庶務・会計は橋本浩太郎宅(帯屋町)で行っていた。 |