昭和12年(1937年)

音楽報国週間 高知管弦楽団・高知合唱団 連合演奏会
11月13日
7時
高知市高等小学校講堂

第1部
 1 管弦楽
    イ、カール王行進曲(ウンロート)
    ロ、ラ・ソレラ(クラーク)
 2 男声合唱
    イ、大日本(音楽週間の歌)
    ロ、航空決死兵
    ハ、征けますらお
 3 混声合唱
    イ、国民の歌(山田耕筰)
    ロ、昭和の黎明(山田耕筰)
    ハ、凱旋(長い幸二郎)
 4 管弦楽
    交響曲第88番ト長調(ハイドン)

第2部
 1 男声合唱
    イ、ヴォルガの舟唄(ロシア民謡)
    ロ、去りゆく燕(ヘンデル)
    ハ、流浪の民(シューマン)
 2 女声合唱
    イ、北支の空
    ロ、航空愛国の歌
    ハ、日の出島
 3 管弦楽
    円舞曲 レスチュディアンチナ
        (ワルトトイフェル)
 4 混声合唱
    日ぐれの花(下總皖一)
    春の雪(下總皖一)
    大島節(信時 潔)
 5 合唱および管弦楽
    接続曲軍歌集7曲(浜田善三郎編曲)

高知管弦楽団 指揮 古城九州男
高知合唱団  指揮 橋詰利春
戦争のため、軍の国民総動員指令により、英語は敵国語であるからという理由で使用禁止となり、プログラムにも「高知フィルハーモニック管弦楽団」から「高知管弦楽団」となっている。
この演奏会は「出征軍人家族慰問音楽会」として計画されていたが、「国民精神総動員音楽報国週間」の参加行事として、第7日に高知合唱団と合同し、「連合音楽会」として演奏した。

昭和13年(1938年)

音楽報国週間 連合演奏会
11月10日
7時
高知県立第一高女講堂 1 交響詩「海と母」(高木雅老)
2 円舞曲「氷滑りをする人々」
       (ワルトトイフェル)
3 混声合唱「ドナウ河の漣」(イヴァノヴィチ)
4 愛国行進曲 (全員斉唱の伴奏)
この曲目は、高知合唱団他と合同演奏のうち、高知管弦楽団が演奏したものです。
会場は現・丸の内高校の改築前の講堂で、構造は前の半分は平土間で、中程より後の座席は階段式になっていた。その後戦災で屋根の一部が破損し補修したが、校名変更後取り壊し改築された。楽団は昭和28年1月17日落成のこけら落としに出演した。
前年と同様、音楽報国週間行事に参加し、高知合唱団と共に演奏した。このうち、高知管弦楽団が演奏したものは、上記の曲であるが、その他に混声合唱、ピアノ独奏等があった。

昭和14年は記録紛失

昭和15年(1940年)

紀元2600年奉祝音楽会
12月8日
午後6時30分
高知市女子高等小学校講堂

1 軽騎兵 序曲(スッペ)
2 交響曲第40番(モーツァルト)
3 歌劇「椿姫」幻想曲(ヴェルディ)
   独唱 山田紀元子

4 円舞曲「碧きドナウの流れ」
          (シュトラウス)
5 紀元二千六百年奉祝国民歌(森 儀八郎)
   合唱 土佐女子中学校合唱団

番外 愛国行進曲 会衆一同

指揮
 1〜3 古城九州男
 4〜  長尾良樹

昭和16年(1941年)

古鉄回収報国第十回管弦楽大演奏会
11月30日
午後6時30分
城東中学校(現・追手前高校)講堂 プログラムなし 楽団出演者 24名
この演奏会の入場券(会員券と招待券)には「古釘一本以上御持参のこと」と印刷してある。戦争のため、鉄不足を補う必要から、全国的にこの運動は広がっていたのである。

昭和17年(1942年)

音楽会で敵性音楽の曲は演奏してはいけないとの軍命令もあり、また、応召その他で団員も少なくなったりして定期演奏会は開けず、軍需工場慰問や傷病兵慰問の演奏をしていた。

昭和18年(1943年)

戦況は次第に悪くなり、慰問演奏も思うにまかせぬ状況となった。

昭和19年(1944年)

空襲を免れるため、ティンパニ、管楽器、コントラバス等の楽器および楽譜を疎開した。

昭和20年(1945年)

空襲を警戒した灯火管制にもかかわらず、少人数でアンサンブルを続けていた。
同年8月15日、全面降伏し終戦となる。

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