演奏が始まります。演奏会の欄は、左から概ね「日時」、「場所」、「曲目および指揮者、独奏者」、「メモ」としています。

昭和7年(1932年)

1月15日 古城会長の依頼により浜田善三郎氏が楽器購入その他の件にて、東京・大阪に旅行していたが本日帰高す。(注:帰高=高知に帰る)
1月18日(月) 古城宅にて第1回創立総会開催す。出席者11名。
練習日 毎水曜日午後7時より。
入会金50銭、会費月50銭。
名称 高知フィルハーモニックオーケストラとする。
この日フレンチホルン、Aクラリネット到着す。代金は会長支弁さる。
1月23日

第2回創立協議会開催。

会長 古城
幹事長 浜田
人事 岩谷
会計 森田
書記 水田
企画 橋本
楽譜 森
顧問 惣田、岡、井上

会則決定。

第1回協議会の議案を決議。

指揮浜田、1Vn.3、2Vn.3、Va.1、Vc.2、Cb.1、Fl.1、Cl.1、Tp.1、Hr.1、Tb.1 計16名。

2月7日 女子師範学校講堂でコーラスの伴奏のリハーサル。ヘンデル作曲「我等に勇士を与えよ」を伴奏。(全団員出席。「成績良からず」とある。)
2月11日(木) 高知県立女子師範学校 戦勝旗の下に
ダニューブ河の漣
コーラスを伴奏し、浜田善三郎氏のチェロ独奏もあり、聴衆堂に溢れるような盛況であった。初の演奏謝礼あり。
2月28日(日) 高知キリスト教会   子供の為に演奏する。
3月6日(日) オーボエ到着
3月10日(木) 唐人町山崎氏より橋本氏の購入したコントラバスを引取り練習場へ搬入す。(終戦後古城会長買取)
3月17日(木) NHK高知放送局 戦勝旗の下に
ダニューブ河の漣
ローエングリン
サンタンカン
新設されたNHK高知放送局で仮放送をする。成績思わしからず。
3月18日(金) ヴィオラ到着
3月19日(土) 譜面台10台購入
NHK高知放送局開局記念放送出演
3月24日(木)
午後8時30分
午後8時50分終了
NHK高知放送局 ノルエーダンス(グリーク)
フラワーソング(ランゲ)
メヌエット(パデレフスキー)
コル・ニドライ(ブルッフ)
ヴァイオリン独奏 惣田三四司
ピアノ伴奏 古城夫人
ラジオ放送。
当時のNHK高知放送局は昭和39年2月まで相模町の現愛宕中学校敷地内にあった。
(注:上記フレーム内「高知交響楽団創立70周年記念展示会」を参照されてください。)
4月1日(金) 県公会堂 モーツァルト 弦楽セレナーデ 来高(注:高知に来る)した徳島市の合唱団「クリスタラインコーラス団」の演奏会に賛助出演し、クインテットで演奏。
4月2日(土) (不明) フューネラルマーチ(ショパン)
フラワーソング(ランゲ)
賛美歌456番
創立に色々と助力して下さった、岡寛氏が死去されたので、同氏邸葬儀式場にて告別演奏を行う。
4月24日(日) 第1回定期演奏会を、来る5月14日午後2時および7時30分の2回とし、城東中学校(現追手前高校)講堂にて開催することに決定。
5月4日(土) ティンパニ1対を吉本工業所へ発註。(注:上記フレーム内「高知交響楽団創立70周年記念展示会」を参照されてください。)
吉本氏はイタリーへ行ったこともある人。その鉄工所の看板には「難物歓迎」と書いてあった程のイゴッソーであった。製品は銅の鈑金で、さすがに見事な出来ばえのティンパニであった。皮革は橋本浩太郎氏より、三木楽器店へ註文することと決定。ティンパニ製作費は300円であった。
この当時は重要な管楽器(オーボエ・ホルン・バスーン等)の国産品は全くなく、全部輸入品であった。必要な楽器はすべて軍楽隊の払い下げ品によった。(注:上記フレームの「高知交響楽団創立70周年記念展示会」を参照されてください。)
ただティンパニは、浜田氏が所持していた楽器のカタログの仕様書により寸法を詳細に調べ、吉本氏に発註したもので、浜田氏は毎日鉄工所に出向いて立ち会い、一週間で仕上がった。この一対は地方で製作したこと自体特筆に価することである。
このころ次々と楽器、備品が備えられていきます。これらは会長古城氏が祖父伝来の刀を一本70円から100円で売って捻出した350円で揃えられました。

当時の提出書類

演奏会開催には、官公庁へ次のような色々の書類を作成し、許可を得なければならなかった。

  高知警察署長宛(以下、全部複写。タテ書き。)

1.仮設興業設置願
  イ.仮設場所
  ロ.場所並に 四隣平面図
  ハ.所有者の承諾書

 右ノ通リ仮設興業場設置致シ度候間御許可相成度此段相願候也

 年 月 日         住 所  氏名

       高知警察署長       殿

2.興業届
  イ.興業の種類
  ロ.開場及閉場日時
  ハ.芸題 別紙演奏曲目通り
  ニ.演奏者是認の 住所・氏名・年令・一覧表
  ホ.入場料・下足料

 右ノ通リ興業致度候間此段及御届候也

         責任者 署名捺印

       高知警察署長       殿

このほか、看板設置や会場使用等のため、県庁学校等へ所定の様式の書類を候文で作成し、許可を得たのちでなければ演奏会は開けなかった。

第1回定期演奏会 飛行機 愛国土佐号 献金造成音楽会 (注:上記フレーム内「高知交響楽団創立70周年記念展示会」を参照されてください。)
5月14日(火)
午後1時半・7時
城東中学校
(現追手前高校)講堂

1 ペールギュントより(グリーク)
   ノルウェーの踊り
   ソルベージの歌
   アラビア人の踊り
2 未完成交響曲(シューベルト)
3 小曲
   晩鐘(マスネ)
   花の歌(ランゲ)
   メヌエット(パデレフスキー)

 指揮 浜田善三郎

出演者
1Vn.4
2Vn.4
Va.2
Vc.2
Cb.2
Fl.1
Ob.1
Cl.2
Hr.1
Tp.1
Tb.1
Tmp.1
Bat.2
計24名

演奏会収支
収入の部 計257円8銭
 入場者(昼)学生797 一般  63
    (夜)学生 60 一般 270
      招待者233  合計1,323
  入場料 学生20銭 一般 30銭
  解説プロ代 3銭

支出の部 計205円13銭
 講堂使用料24円 印刷代65円
 譜面代15ケ60円
 下足人夫料・写真・茶話会費外諸費56円13銭

 差引利益51円95銭
 土佐号献金51円95銭 残金0

指揮者 浜田善三郎氏
高知県香美郡前浜生まれ。大正11年、県立第一中学校4年終了後、東洋音楽学校入学、チェロ科専攻。山田耕筰氏の日響(N響の前身)に入る。カルテットを組織して各地で演奏す。のち、阪神管弦楽団指揮者となり、傍らBKより度々チェロ独奏を放送し、帰高と同時に高知フィルハーモニックオーケストラ設立の中核となった。創立と同時に指揮者として指導にあたる。昭和14年満州国新京交響楽団に入る。昭和21年引き揚げ、昭和25年高知学園教諭。昭和29年、再度当楽団指揮者となり、昭和38年6月引退。
11月6日 高知県公会堂

1 バグダッドの太守(ボアェルデュー)
2 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(モーツァルト)
3 舞踊組曲(ラモー)
   メヌエット・ミュゼット・タンバリン
4 小曲
   荒城の月変奏曲(ブッチェル)
   波濤を越えて(ローザ)

 指揮 浜田善三郎

入場料(解説書代および下足料として)
 一般10銭 学生5銭
 入場者 857名
収入 78円85銭
支出 75円8銭
差引残 3円77銭

支出内訳
 公会堂使用料 10円50銭
 プログラムほか印刷代 12円
 立て看板5枚 6円75銭
 ポスター100枚(1枚5銭)=5円
  はりまや橋、升形、
  乗出(現グランド前)、
  第3小学校(現追手前小)、
  ※会場前は布製、天神橋は紙製のポスター
 その他

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